やはり森見登美彦の怪談は別格だ【書評】「夜行」

夜行

なんだか久々に小説を読んだ気がします。日々に忙殺され最近は日課であった読書が疎かになり、それが何故だか頭の中に「良くないこと」としてこびりついていました。

そんな時に森見登美彦の新刊が発売すると聞き、2016年10月25日の発売日に最寄りの書店に仕事帰りに寄って購入。「また積ん読になってしまうのだろうか」。そんな不安がありながらも帰りの20分間しか乗らない電車で、ペラペラと読み進めていくと、20分が4分くらいにしか感じない程にその文章が面白く、なんだか久々に小説を読んだ気がします。

小学生の頃に小説を読む習慣がありながら、二十歳頃には全くなくなってしまった読書習慣を取り戻したのも確か森見登美彦氏のデビュー作「太陽の塔」でした。やはり彼の小説は私にとって別格なのでしょう。いつも彼は私のなくなった読書習慣を取り戻してくれるようです。

今回発売となったのは「夜行」。森見登美彦は愉快な話が小説の中心ではありますが、時たま怪談を書きます。これが実にちょうどよく背筋にきて、夜に最適です。では「夜行」の書評といきましょう。

「夜行」の簡単なあらすじ

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主人公である大橋は学生時代を過ごした京都に到着する。 学生時代英会話スクールで一緒だった中井さん、武田君、藤村さん、田辺さんと久方ぶりに「鞍馬の火祭」に行くためだ。学生時代に一度同じメンバーに長谷川さんという女性と共に「鞍馬の火祭」には出かけた事がある。その日の夜「鞍馬の火祭」で長谷川さんは忽然と姿を消してしまうのだが。

大橋は今回京都に到着した際、とある画廊で長谷川さんによく似た人が入店するのを見つけその画廊に入店する。その画廊に女性の姿はなく岸田道生という亡くなった銅版画家の個展が開かれていた。そこには岸田の「夜行」という48の連作があり、それぞれ尾道、伊勢、野辺山、奈良、青森、天竜峡…と様々な場所で、ビロードのような漆黒の中にマネキンのように顔のない女性が手を降っているような作品だった。

その日の夜「鞍馬の火祭」へ向かう前に貴船の宿で鍋をつついていると、大橋はその画廊であった話をする。すると皆が岸田道生の「夜行」を知っている。中井さんは尾道で、武田くんは奥飛騨で、藤村さんは津軽で、田辺さんは天竜峡で。それぞれが以前不気味な体験をしている。そして過去同じ場所の「夜行」を見ている。

各自のエピソードと共に岸田道生の連作「夜行」の秘密が少しずつ解けていく。

「きつねのはなし」「宵山万華鏡」に続く森見登美彦の怪談

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森見氏の本領は現実とファンタジーが入り乱れる俗に言う「マジック・リアリズム」という世界感です。

今回の各自のエピソードはそれぞれ現実の中に非常に不気味な話があり、背筋がゾッとするような面白さがあります。4つのエピソードが語られても「夜行」の謎は解けていかず、一体「夜行」という銅版画によって何が起きているのか、気になりすぎて夜更かしが進んでいきました。まさにこの作品は夜に読むことで一層味が出る作品です。

最後に主人公の大橋目線の物語「鞍馬」があり、このエピソードによってある程度の謎が解けるわけですが、推理小説のように現実的なトリックではなく森見氏らしいファンタジーな要素が多分に含まれます。

森見氏の怪談といえば「きつねのはなし」と「宵山万華鏡」でしょう。「きつねのはなし」は全ての物語が本当にゾクリとさせられるもので、京都という舞台が上手く活用され非常に独特な世界観があります。「宵山万華鏡」は宵山を舞台にした数人の目線の物語であり、話によっては非常に愉快でゲラゲラと笑える、その中に怪談話も含まれる夏の夜に最適な小説でした。

今作「夜行」も完全に「きつねのはなし」同様に、普段の愉快さは鳴りを潜めて、不気味な怪談が続きます。

しかしやはり面白い。こんなに続きが気になる小説は久しぶりでした。話が進む毎に「夜行」の不気味さは増すばかりで、非常に密度の濃い読書を楽しめました。

ココ最近の森見氏の作品「聖なる怠け者の冒険」や「有頂天家族 二代目の帰朝」はもちろん面白いのだけどれど、実際には少し物足りない感じもありました。この「夜行」は物足りなさが一切感じることなく、森見氏の歴代作品の中でもかなり上位に入る面白い小説に仕上がっているのではないでしょうか。

しかし森見氏のブログにあるように、ミステリーに近いにも関わらず何も解決しない。上記に「少しずつ解けていく。」なんて書いたがそこまで解決しない。それが苦手な人にとっては駄目なのでしょうか。私はこの終わり方も含めて大好きではありますが。

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